タクサードのブログ(仮題)

タクサードのTwitterの延長です。

書ける!書けるぞ!

はじめに

まずブログ開設に至った理由を書いておこうと思う。 文章を書く自信のなかった人間が、どのようにしてブログを開設してまで文章を書こうと思ったのかという過程の話でもある。

簡単に言えば初回の投稿にも書いた通りで

140文字制限のTwitterがたまに狭く感じる

というのに尽きるのだが、ここで大事なのはどうしてTwitterが狭く感じるようになってしまったのかということ。今回のブログ開設は自分自身でも意外で、お前理系やろ!強い文系みたいなこといいやがって!理系らしくTwitterで語彙力の無いオタクやってろよ!って思ってたりもする。

Twitterが狭くなってブログ開設をすることになったのは、やっぱり文章を書く気になったから。でもこれでは理由になってなくて、目的と大差ない。そこで今回考えたのは、理系で語彙力のないオタクがどうして文章を書く気になったのか?ということ。

ブログを開設するまでに、文章を書くための2つのステップがあったと思う。

  1. 文章に記す内容、つまり考えが浮かぶ
  2. その考えを文章にしようと決意する

この2つが起こった原因をそれぞれ簡単に書くと

  1. 大学に入って余裕ができた
  2. 文章を書くハードルが下がったから

となる。

 

大学に入って余裕ができた

 高校のときは毎日数学の授業の予習しか頭になかった。思考のリソースが専ら勉強や受験のことを注がれてたから他のことを考える余裕がなかったんだろう。日常と精神を削って学力に変換する3年間だった。

それが大学に入るとかなり余裕ができた。正確には余裕が戻ってきたと表現したほうがいい。レポートで忙しいとか言ってるけど高校の忙しさに比べれば随分マシ。しかし、余裕があるだけでは考え始めずに持て余すだけ。ちょうど1回生の前期がそうだった。今まで考えなかった人間が考え始めるキッカケ、刺激の影響を受けたのが1回生の後期。それがPSYCHO-PASS新編集版(PSYCHO-PASSはオタクとしてだけでなく、人間としてかなりの影響を受けてるので、今後度々登場することが予想されます)。

高校のときにオリジナル版を見ているのだが、考えるキッカケにはならった。ドミネーターとかシビュラとかSFとしての設定やストーリーといった、作品としてキャッチーな部分が好きだった。しかし、大学生になって新編集版を見てみると、各キャラクターの哲学的なセリフが印象に残った。具体的にはノナタワーで狡噛と槙島が対峙したときのやりとり、狡噛と雑賀先生のオムレツ食べながらの会話など。(分かる人には分かると思う。)

大きな刺激がPSYCHO-PASSってだけで他にも刺激はあったと思う。PSYCHO-PASSと似たような哲学的な刺激では、同じく1回生の後期、西洋文化論の授業があった。ラテン語の名言・格言を紹介して解説してくれる授業でかなり面白かった。

他にも大学に入ってからは色んな人と会って話した。交友関係が広い訳ではないから他の人と比べるとそんなに多くないだろうが、個人的には高校のときと比べるとかなり多い。高校のときは部活と一部のクラスメイトだけど、大学入ってからは学科、サークル、バイト、Twitter(Twitterを出会ったというかは微妙だが)。サークルは他大学にも行ってるし、単純な数だけじゃなく圧倒的に多様性が増してる

こうして振り返ると原因は余裕じゃなくて刺激のような気もするが、PSYCHO-PASSの例からも分かるように、どんなに良い刺激でも受け取れる状態でなければ意味はない。同じ刺激でも受け取る側の状態次第で影響は全く変わる。身の回りに刺激は溢れていて今まで色々な刺激を受けてきたけど、全部スルーしてたんだと思う。高校のときは余裕がなかったし、中学のときは暇過ぎて余裕と時間はあったけど知能がまだ足りなかったんだろう。

そんな訳で大学に入って余裕ができた状態のときに刺激を受け取って、文章に記す考えが浮かぶようになった。

 

文章を書くハードルが下がったから

 文章として書く内容はクリアしたので、次はそれを文章に書き起こす決意。国語には以前から苦手意識があったし、今でも苦手意識がある。中学や高校で夏休みの宿題として出された作文や小論文に苦しまないことはなかった。そういう過去の経験から、どうしても文章を書くのを躊躇ってしまう。勝手な想像だけど、同じ理由で文章を書く勇気がない人は多いと思ってる。

そんな苦手意識を克服できたのは、サークルで発行している冊子に寄稿したから。大学2回生の年末と春休みの2回、2500文字くらいの考察文を、別サークルでそれぞれSF作品のProject Itohと声優の東山奈央さんについて書いた。執筆が決まる前からそれぞれのテーマについて考えは持っていたけど、前述の理由で書くことはあまり乗り気ではなく、仕方なしに書いてみるという感じ。

ところが、いざ書いてみると結構書ける。書くにあたってもう一度本を読み込んだり、考えを整理したりとしっかり準備したこともあるだろうが、予想以上に書ける。最終的には書きすぎて削らなければいけないほどになった。これには自分でもかなり驚いた。中学・高校のときの作文や小論文での苦しみは何だったんだろうと。

結局、中学・高校で文章を書くのに苦しんだのは、前述の文章を書くためのステップの1つ目が達成されてなかったからだと思ってる。知能あるいは余裕が足りないまま読書感想文の課題図書を読んでも「すごかった」、「面白かった」程度のいわゆる小並感しかでてこない。それなのに無理に文章を書こうとしてたのだから、苦しむことは目に見えている。書くべき考えがないのに、それに気付かないまま書こうとして、自分には語彙力がないとか文章力がないと思い込んでいた。例えるなら、食材がないのに料理しようとして、料理の才能がないと嘆いてたようなもの。学校の宿題である以上は仕方ない部分もあるのが、学校教育のせいで文章が書けないトラウマを抱えていたとするなら、かなりの迷惑だ。大学に入って考えられるようになって、書く内容がしっかり定まれば文章は簡単に書けた。それまでは順序が間違ってたんだから、むしろ書けなくて当然。

そんな訳で文章を書くためのステップを順序良くクリアして書いてみたところ意外にも簡単だったので、文章を書くハードルが下がった。

 

まとめ

 以上のような理由で文章を書くことへの抵抗がなくなった。しかし「書けない」が「書ける」になっただけなので、文章を書くためのスタートラインに立ったにすぎない。文章を書くことが得意な、それこそ優秀な文系の人々が大きな困難なく達成してきたであろうことを、人生20年目にしてようやく成し遂げただけ。

とは言え、文章を書けるようになったことは説明できたが、ブログ開設に直接繋がるのは「文章を書きたい」という気持ち。できることとしたいことは違うとも言うし、ブログを開設してまで文章を書きたいと思うようになった理由があるはず。でも今はよく分からないし説明もできないので、ブログに色々投稿しながら考えていこうと思う。

 

終わりに

 長い文章になってしまいました。自分でもここまで長くなるのは予想してませんでした。書いた文章を何度も読み返しているうちに考えが発展した結果、こうなりました。

ここまで長くなるのは稀だと思いますが、今後もこんな調子で書いていきます。今回のように自分の考えたことあれば、アニメや声優についても書くかもしれません。むしろそういったオタクとしての文章の方が多くなるような気もしますが。

呟きをするTwitterの延長なので、自分の思考のアウトプットみたいな面が強いですが、ブログという形式で公開する以上、ある程は読み手を意識しようとは思っています。興味が向いたときに読んでいただければ幸いです。