タクサードのブログ(仮題)

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東山奈央さんソロデビュー(考察編)

はじめに

2016年 11月 17日 木曜日
声優の東山奈央さんがソロデビューすることが発表されました。一番の推し声優がソロデビューするという知らせは強烈なもので、僕を混乱させました。冷静さを取り戻し、気持ちの整理をするまで驚くほど時間がかかりました。ひとつのケジメとして、こうして文章を書こうと思いました。

こちらは考察編です。現在公開されている情報から東山奈央さんのソロデビューについて考えたものです。感情編で書いた感情の変化も踏まえて書いてる部分もあるので時間があればどうぞ。

 

ソロデビュー自体への不安

今回のソロデビュー発表は、何の前触れもなく急に大量の情報が公開され、まさに電撃発表となった。そのインパクトはすさまじいもので、東山奈央 オフィシャル(@naobou_official)のRTは伸び、フォロワーは爆発的に増え、トレンドにもなった。TLには「なおぼうソロデビューおめでとう」や「やっとソロデビューか。むしろ遅いくらい」という旨のツイートが多かった。

僕が素直に祝って喜ぶことも、冷静に分析することもできず大混乱したのは、情報量の多い電撃発表のためだけではない。主な不安は、ソロデビューには声優本人の人気・注目が直接的に売上という数字で表れやすいことだ。今までのキャラソンリリースやイベントでは、作品やキャラクター、他の出演者の人気も合わさって数字として表れるが、ソロデビューではそれがない。デビューシングル「True Destiny/Chain the world」はチェインクロニクルとのタイアップだが、それでも作品の影響はそう多くないだろう。

これは売上が伸びなかったらどうしようという不安ではなく、売上最重要視な売り方になってしまわないか、という不安だ。電撃発表での話題のかっさらい方、アニメイト秋葉原の入り口正面のショーケースを使った大々的な宣伝、号外“東山タイムズ”の配布。これらが注目をとにかく集めて、この後の売上に繋げようという意図によるものだとしたら、どうしようもなく不安になってしまう。

なおぼうは真面目で堅実な人柄だと思うし、そこが魅力でもある。今までの活動の様子を考えても分かりやすい安易なプロデュースは合わない。万が一いわゆるアイドル売りが強くなると、なおぼうの魅力と上手く噛み合わない心配が出てくる。

Rhodanthe*やワルキューレを始めとして、今は魔法少女育成計画など、最近はフライングドッグ関連の仕事が多い。フライングドッグ側もなおぼうのことをよく分かっているはずだし、変な方向性でプロデュースしないだろうとは思うのだが、秋葉原のアニメショップ5店舗でCDを予約させる“東山奈央スタンプラリー”を実施するあたりは安心しきれない。(これがあまり話題にならないのは、ソロデビュー発表のインパクトが大きすぎるだからだろうか?)

 

“なおぼう”ではなく、“東山奈央さん”

公開された情報を順番に見ていく。まず真っ先に公開された情報、Twitter。一気に様々な情報が公開されたが、注目したいのはアイコンだ。ソロデビュー発表でオフィシャルサイトで公開されている写真が使われている。白を基調とした部屋で、純白の衣装を着て、黒髪が映えている。この写真が不安を増長させた。

今まで見てきた真面目で堅実でありながらも、ユーモアとノリの良さは忘れない、常に楽しそうで感情豊かな、なおぼうと全然雰囲気が違う。作品やキャラに合わせて何かしら色のイメージがあった。それがソロデビューになった途端、どこかに無機質さを感じてしまう写真になった。そこに写っていたのは、東山奈央さん”であり、僕がよく知る“なおぼう”には見えなかったTwitterで投稿される写真も動画も、いつもとは別人であるかのように感じられた。(感情がしんどすぎるあまり、別人だと思おうとしたのかもしれない)
↓“東山奈央さん”に見えたツイート

(↓なぜか、ソロデビュー発表がツイートされる前のこの写真は“なおぼう”に見えた)

オフィシャルサイトも白と黒のモノトーンなデザインで、かなり控えめになっている。なおぼうが喜びそうな言い方をすれば、「落ち着いた大人な印象」。なおぼうは、アクセサリーショップに行っても子供と間違われたのか店員さんに相手にされないくらいに幼く見られるらしい。そのためか、背伸び願望とでも言うべき大人っぽさに憧れていることは感じていたし、アイドルマスターシンデレラガールズ川島瑞樹役について「こういう大人っぽい役を演じてみたかった」という旨のことを語っていたりする。シンデレラガールズのライブパンフレットでも、役に合わせた落ち着いた大人っぽい写真が掲載されているが無機質さは全くもって感じなかった。(この違いを表現するには語彙力不足なので、画像検索して見比べて感じて下さい)

今まで感じたことのない、落ち着きと無機質さ。もしこれが真っ白へのリセット、真っ白からのスタートを表していて、「今までとは違う新しい東山奈央」の始まりになるのだとしたら。そんな考えが頭をよぎって、不安でどう受け止めていいものか分からなかった。

 

表現者 東山奈央

Twitterを見るだけでは、前述の「ソロデビュー自体への不安」で書いたことも合わさって不安しかない。電撃発表を知ったのが実験中で、その後はサークルに行ったので、Twitterしか見られず不安が加速するばかり。アニメイトタイムズのインタビューが大きな意味を持つことは明らかだったので、家に帰るまでは読まなかった。(外で読んでしまうべきだったか、サークル蹴って帰宅すべきだったか、正解はよく分からない)

このアニメイトタイムズのインタビューが、抱えていた不安を解消してくれた。インタビューから見えてきたのは“なおぼう”の姿だった。特に注目したいのはここ。

――いままで東山さんはたくさんのキャラクターを演じ、そのキャラクターソングを歌ってきました。それらキャラソンと、今後活動を行う「歌手の東山奈央さん」の声はどう違いますか?

東山:伝え方がとても難しいのですが、色々と考えてみた結論として、私は「どれが自分の本当の声か?」を決める必要はないと思うんです。

――その理由は?

東山:今までも、積極的に声を変えよう!と思ってお芝居してきたわけではなくて、自分の中のキャラクターのイメージに合うことを考えて演じてきました。そのキャラクターに合う方法を、その都度自分の中から選択してきたと思うんです。歌についても同じことが言えると、実際にやってみて感じました。耳心地がよかったり、記憶に残る旋律だったり、その歌の持つ世界観によって「声」は変わっていくものなのかなと思いました。

個人名義で歌うときに出来ることは、自分の本当の声、つまり、自分の一番歌いやすい声で歌うことではなく、自分が素敵だと感じたままに歌うことなんじゃないかなって。

私は「自分の声を聴いてほしい」という気持ちよりも、「歌をひとつの作品だと思ってほしい」という思いが強いです。素敵な「歌」を、自分の中にイメージとして膨らませて、最大限に表現したいんです。

――なるほど。では楽器や曲調によって、声を変える可能性も?

東山:その可能性もあると思います。バンドサウンドだったら力強く歌ったり、バラードだったらしっとり歌ったりとか、その曲に適した「声」と「歌い方」を見つけていきたいです。ただ、これは今の考えであって、これから新しいものに触れていく中で変わるかもしれないですし、変わってもいいかなとも思います。そういった歌手活動を続けたら、その積み重ねで私も声の幅が広がり、私自身が成長できるかもしれない。

これまでキャラソンを通して歌い続けてきた、なおぼうらしい考えだと思った。この「表現」というキーワードで真っ先に思い出したのが、東山奈央のドリーム*シアターのキャッチコピー。

この番組は東山奈央表現者として色々な魅力を、時にまじめに、時にいい感じにみがいていき、夢を実現していく劇場型ラジオです!

2014年の4月から今まで、なおぼうは自分で「表現者」と週に1回言い続けていたし、僕はそれをずっと聴き続けていた。にも関わらず、表現者としての1つの側面でしかない、声優しか見ていなかった。なおぼうはずっと前から表現者だと言っていたのに、そのことに全く気付かなかった。気付けなかった。表現者であることを考えればソロデビューすることは青天の霹靂でもなんでもなくて、十分可能性があったことだった。気付けなかったことは不覚に思っているし、気付いていれば混乱することも、不安を抱えることもなかった。

歌の世界観を表現したいという、なおぼうの考えを踏まえると、純白の衣装は「東山奈央個人の声を持ち込まずゼロベースで歌と向き合い、その世界観に染まる」というある意味ウェディングドレス的なミーニングだと捉えてもいいのではないかと思う。

さらに思い出したのが、ワルキューレでのインタビュー。

――ワルキューレの5人の中でレイナの声がどう聴こえるかということは考えていましたか?

東山 考えましたね。レイナの場合はハモが多いんですけど、ハモは本来、主戦を引き立たせるためのものだし、合わさったときに自己主張をしてはいけないんですね。でも「この吐息感はレイナが歌っているんだな」みたいなことがほのかに感じられるようにしないと、別の人がハモっている意味がなくなっちゃうというか……。普通のキャラソンだと自分の主線に自分でハモをつけるというのが多いところを、あえてメインボーカルと別の人たちがハモっているわけですから、そこにちゃんと意味を持たせたいなって。5人でユニゾンするときはボソボソ歌ってしまうと全体の音質がこもってしまうので、レイナ感をちょっと脇に置いておいても大きめの音圧で歌ってみたり、ハモだと吐息成分を多くして、邪魔にならない程度にレイナの印象を持たせるという感じで、臨機応変にニュアンスを変えてみたりしています。

 

リスアニ! 2016 SEP. Vol.26.1

――歌う時も役作りをしている感じですか?

東山 はい。ただ、これも『マクロス』楽曲の特徴的なところだと思うんですけど、普通のキャラソンは、そのキャラの内面などを歌っていることが多いですよね。でも、『マクロス』の楽曲は流れるシーンもいろいろで、ワルキューレの場合は歌う人も変わったりしますし、楽曲の内容とキャラクターがイコールではなくって。私の場合だと、レイナがその曲の中で、また別の人になりきって歌っている感覚なんです。例えば『ジリティック♡BEGINNER』は、語尾をしゃくりあげてみたりとか、レイナにしてはかなりアイドルっぽい可愛い歌い方をするんですけど、『NEO STREAM』は少し神秘的というか。ささやくような透明感のあるレイナをイメージして歌っています。いろいろな方向性の楽曲があるので、それぞれの曲の世界のレイナを表現できる楽しさを感じると同時に、レイナから外れてはダメという難しさもあって。本当に繊細な彫刻をしていくようなイメージで歌わせて頂きました。

 

ワルキューレ 1st LIVE in Zepp Walküre Attack! パンフレット

キャラクターを控えめに、歌のことを優先することを既にワルキューレで行なっていた。キャラクター重視のキャラソンから、世界観重視のソロデビューへの通過点とも言うべきステップでもあり、ワルキューレのイベントで何度も言ってた「ここを通過点にして成長していきたい」という言葉を、なおぼう本人は立派に実現している。

そして、号外“東山タイムズ”では

レコーディング当日の朝は、自分が今まで答えてきたインタビューの記事を読んでいました。自分は今までどういう気持ちでお仕事をしてきたんだろう?というのが気になって、雑誌を発掘して。

ふだん自分の記事を読み直すことはあまりないんですけど、久しぶりに読んでみたら過去の自分から刺激を受けたり、思い出させてもらうこともあったりして、やってよかったなと思いました。改めて、歌に込める意志の強さみたいなものが変わったかなと思います。

と語っていて、これが「今までとは違う新しい東山奈央」の始まりになるのではという不安を完全に払拭してくれた。なおぼうは生まれ変わったりするつもりは無くて、今までの積み重ねの結果として、さらにそこに積み重ねようとしている

通過点とも言えるワルキューレを見ていて、Rhodanthe*の活動と経験が繋がっていると感じたのは、以前書いたことでもあるし

なおぼうはワルキューレメンバーの中で1番演じたキャラも登壇したイベントも多いため、随所で他のメンバーを上手く引っ張っていってる様子。リリイベでの盛り上げ方や締めの挨拶の仕方はお手本のような振る舞いだし、ダンスレッスンのときに色々とアイデアを出しているというエピソードはRhodanthe*での経験が生きてるのだろう。

そのRhodanthe*が、単独のライブイベントを行なったり活動の幅を広げ始めたのが2014年の春。そして、なおぼうの表現者としてのラジオ、東山奈央のドリーム*シアターは2014年4月から放送されている。この時期は、なおぼうがアーツビジョンを離れ(2014年4月)、インテンションに移籍(2014年5月)した時期と重なる。決定と発表にはタイムラグがあるとはいえ、なおぼうが望んでいた、やりたかったこと(やりたいこと)が垣間見える気がする。

 

ロゴの意味

デザイナーの端くれの端くれとしてロゴについて考えてみる。オフィシャルサイトの左上に表示されている、筆記体で「nao」と書かれて、o から n に3本の線が弧を描いて繋がっている。アニメイトタイムズのインタビューに

――そうしたら、声優としても新しい演技ができるように?

東山:そうなると嬉しいですね!「声優」と「歌手」、このふたつがお互いに影響し合って、役者としての自分に還元できることがいろいろあるんじゃないかなと、自分のことですがいまからワクワクしています。

というのがあるので、o から出て n に戻ってくる線は、還元のイメージではないかなと思う。

次に3本の線が何を表してるかだが、最初に思いついたのが「アニメ、歌、ラジオ」の普段からなおぼうが携わっている3つの仕事。(アニメと書いてるが、主にアニメが多いだけでゲームでもドラマCDでもキャラクターに声を当てる演技全般という意味。)「表現」というキーワードを踏まえると「アニメ、キャラソン、ソロデビュー」で、1つのキャラクターに焦点を当てたものから、世界観そのものへ表現者としての幅が広がる様子。他にもフライングドックからのデビューであることに注目すると、「Rhodanthe*、ワルキューレ、ソロデビュー」が思いつく。

どちらも他に考えられるものがあるだろうし、解釈の幅は結構広いと思う。端くれの端くれに思いつくのは、この辺りが限界。

 

終わりに

アニメイトタイムズのインタビューを中心に過去の発言も掘り起こしながら、色々と考えましたが、僕の心配や不安はただの杞憂でした。今思い返すと、ソロデビュー発表から1週間のパニックがバカらしくなります。なおぼうは全然変わっておらず、むしろより“なおぼう”らしくなっていると感じました。

オフィシャルサイトとTwitterを見ていて気付いたのが、「アーティスト」という言葉が公式サイドからの直接の発信では使われていないこと。アニメイトタイムズや音楽ナタリーなど、外部のニュースサイト等で使われるのみです。なおぼうもラジオで「個人名義で歌う」といった表現をしています。「芸術家」や「自己表現」といった言葉を連想させやすい「アーティスト」という言葉が、なおぼうの表現者としてのコンセプトには上手く噛み合わないので、あえて避けているような印象を受けました。(他のソロデビューした声優の場合、どれほど「アーティスト」という言葉が使われているか調べてないので、なおぼうに限ったことではないのかもしれませんが。)

ただ、「なおぼうのソロデビューは、事務所やレーベル、ファンに推しに推された結果ではない。なおぼう自身が慎重に考えて決断したものである。」ということは言っていいと思っています。個人名義でCDをリリースするという結果は同じでも、他の声優ソロデビューとは全く別の性質であると感じました。

残る心配を強いて挙げるなら、なおぼうの方向性がブレてしまうことです。これは、なおぼうの表現したものをどう受け取るかという問題で、ファン次第だと思います。表現の幅を拡大させようと新たな挑戦をする今こそ、なおぼうにとって良き応援が必要なのかなと。文章を書くのが苦手や筆不精などと言い訳して、ほとんど手紙もメールも送らず、アニメを見てラジオを聞いてイベントに行って、一方的に享受してきた僕にとっては厳しい結論が出てきました。なおぼうがソロデビューという挑戦をするこのときに、僕も覚悟を決めて一念発起しても良いのかもしれません。

結果の出ない努力はただの言い訳」ですしね。